kibi-okakiの日々日記 * 食、時々歌、時々猫、時々絵

日々の食事、独り言日記、たまに歌について

おじいちゃんが亡くなりました

今月、92歳のおじいちゃんが亡くなりました。

 

身近な人の死というのはあまり経験がないものの、昨年大好きな飼い猫が亡くなった時に自分なりに死との向き合い方を考えました。

 

悲しい気持ちやもう会うことができない寂しさはもちろん。それはなかなか拭うことができませんが、楽しい思い出を振り返り自分の人生を豊かにしてくれてありがとうと少しでも気持ちの整理をつけて前向きに「お疲れ様」とおくり出す。そういう思いに至りました。

 

愛猫の時はそこに至るまで3か月要しましたが、その経験のおかげかおじいちゃんの場合は葬儀の時にそのように気持ちを落ち着かせることができました。

 

しかし愛猫の時にはなかったある種の喪失感があることにも気づきます。

祖父と孫という、利害損得を問わない基本的味方関係。無条件に心の繋がりがある関係。親族特有のその感覚が失われるという心細さ。その喪失感が襲ってきました。また、この感覚を、今後他の親族が亡くなる度に感じるのかという不安。そういった人生の先にくるであろう不安すら考えてしまいとても不安定な気持ちになりました。

 

ですが、それを払拭するのもまた家族。父母に気持ちを打ち明け、兄弟と時間や思いを共有し、だいぶ救われました。後は時間薬。見守ってくれる夫の安心感もありがたいです。

 

死に伴う感情や死との向き合い方、家族とのつながりについて色々考え学びました。

 

本当に寂しく心細く思います。でも、おじいちゃんとの思い出は私の人生を豊かにしてくれました。今回のことで改めておじいちゃんの人生に触れ、生き方、姿、接し方、最後は骨に至るまで実直で頼もしい姿に、おじいちゃんを誇りに思いました。

おじいちゃんに感謝を想いつつ、49日の旅が無事に終わるよう願いたいと思います。